流れていくもの、残るもの
instagramやyoutubeを開けば次々とAIが制作したであろう動画が飛び込んできます。
私自身も最近は、AIが制作したJAZZやロック、ポップスなどの音楽についつい耳を傾けてしまう。
本当に完成度が高く「良い曲だなぁ」と感じるものが多いのです。
AIと明記されていなければ判別できないレベルにまで進化していることに感心してしまいます。
一方で、そうした動画や音楽を後から思い返してみると、不思議と強く記憶に残っていないことも少なくありません。
完成度は高いはずなのに、気がつけば次のものへと目が移り、流れの中に溶けていってしまう。
トレンドやブームとして大量に生まれ、同じような物が次々と現れては消えてゆく。
そのスピードの速さも、印象に残りにくいことの一因なのかもしれません。
少し視点を変えて、記憶について考えてみるとどうでしょうか。
昔のことを振り返ったとき、すぐに思い出せる出来事は、何気ない日常のワンシーンよりも、嬉しかったこと、悲しかったこと、失敗したこと、恥ずかしかったこと...。
他にも色々と思い浮かびますが、その瞬間というのは良くも悪くも心が大きく揺れ動いた瞬間ではないでしょうか?
完璧だったから記憶に残っているわけではなく、心が動いたから、今でも思い出せる。
そう考えると、腑に落ちる気がします。
Solitaryでお取り扱いさせていただいている作品にも、どこか共通するものを感じています。
手仕事を感じられる作品は、均一ではない表情や、揺らぎを持っています。
それは効率や完成度だけを求めれば、削ぎ落とされてしまう部分かもしれません。
しかし、そういった部分があるからこそ、出会った時、身に着けたときに、作り手の想いや温もりが心に刻まれるように思うのです。
寸分違わず整えられたものではなく、製作する上での試行錯誤や迷い、経験の積み重ねをそのまま感じられることが、記憶や感情と結びついて、時間を経ても静かに残り続ける。
トレンドやブームは、確かに刺激的で、目を惹きます。
しかし、流行が過ぎたあとに手元や心に残ったものは何かと考えると、少し話は変わってくるように思います。
流れていくものが悪いわけではありません。
ただ、すぐに消えてしまうものばかりの中で、ふと立ち止まったときに思い出すもの。
今だからこそ、そんな存在を大切にしたいと考えています。
執筆者 中村鴻大


